芝大門法律事務所 所属弁護士 田村佳弘

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CATEGORY :閑 話

デスク爆弾とChatGPT

昨年末頃、デスク爆弾(Desk-Bombing)という言葉を初めて目にしました。同僚のデスクにふらっと立ち寄って、声をかけて、会話を始めることを否定的にとらえた言葉のようです。忙しいのに、私の都合を無視して、話しかけないでよ、という気持ちが生み出した言葉として整理されています。なるほどと思いつつも、仕事上の忙しさだけがポイントなのかな、と少々斜に構えたりもしています。仕事が忙しくなくとも、モニターに向かっているときに、話しかけられるとストレスを感じる人が多くなっているのでは、と想像しているからです。IT機器(PC)は、一定の行為をすれば(キーボードを押せば)、ある反応(文字がタイプされる)をしてくれます。ブラウジングでは、モニターと向き合い、他者が発信する情報を選択し、受け取っている関係にあります。どこか、PCと会話しているかのようです。ChatGPTを利用すると特にそう感じます。中身のない内容であっても、会話をしている際に、突然横から話に割り込まれたらどうでしょう。ストレスを感じるのではないでしょうか。デスク爆弾という言葉が生まれた背景事情としては、「仕事上の忙しさ」もあるでしょうが、機械との会話への割り込み、という要素に注目しています。

見方について

物事を様々な方向から「みる」ことのできる力はとても大切です。仕事柄、厳しい条件のもとで粘り強く対応できるかは、この力の有無によることが大きいと感じております。ところで、頭の中での話ではなく、実際に普段とは違う方向から「みる」ことにより新たな発見に繋がることがあります。昔、対局者側から盤面を観察する著名なプロ棋士の存在が話題となったことがありましたが、最近、筆で書かれた文字を逆さにして眺めた際に、それまで気付かなかった線の傾きや太さの変化に気付き、少々驚いた経験をしました。年末年始は、歳をとることを実感する時期でもあります。年齢は、盤や文字の向きのように自由に取り扱うことはできませんが、若い方の感性や考え方を意識するように努めています。

捨てられない世界へ

昨年、幸運にも既存の循環ビジネスの枠を超える活動に触れる機会を得ました。これまでもそれとなく感じてはいましたが、モノが捨てられない世界に突入していることをより強く意識するきっかけとなりました。生まれたときから「循環」が当たり前の環境で育った世代を指す言葉として、循環ネイティブなる言葉が生まれるかもしれません。そう遠くない将来、循環ネイティブが社会の中心となったときに、大量消費時代の感覚から抜けきることのできない「過去の人」として捨てられないように、新しい感覚と価値を吸収し続けたいと思った次第です。

ちなみに、1月19日には、環境省と経済産業省によって「サーキュラー・エコノミーに係るサステナブル・ファイナンス促進のための開示・対話ガイダンス」が取りまとめられ、公表されました。

雛人形

本日にふさわしいtopicsです。ある縁で大変立派な雛人形と出会い、年始から2月中旬頃までの間、お姫様が暮らす場所を探すために動き回ることになりました。当初、「良い物であるから、残すべき」という理性的な考えに基づき動き出したのですが、人形の写真を繰り返し見るうちに、本当にこの人形はいいものだと、頭ではなく、心で感じるようになりました。雛人形は、無事、縁のある場所に戻り、第二の人生を歩み始めていて、関係者全員がほっとしています。

写真では、サイズが分かり難いのですが、それはそれは立派なもので、三人官女以下を飾ろうとすれば、人形が家を選ぶことになり、ちょっとした豪邸では釣り合わない感じです。

今回の件では、人形を愛する専門家の方々から、あたたかいお言葉と貴重なご意見をいただきました。心より御礼申し上げます。

おひな様

書と字について

一昔前に比べれば、自らの手で字を書く場面は相当減ったものの、それでも自筆が求められることは少なからずあります。その度に、この乱れた字をなんとかしなければ、と思うのですが、昨年1年間は乱れた「字」と向き合うことが多い年となりました。

書といえば、「とめはねっ!」という書道を題材とした漫画に接したのも昨年でした。「書道」とは距離のある私のような者を飽きさせることなく、最後まで読ませるのですから、本当に立派なものです。また「とめはねっ!」との出会いとは関係ありませんが、東京国立博物館にて開催されていた特別展「顔真卿 王義之を超えた名筆」を雨の降る日の朝一番に見に行きました。この特別展では、故宮博物院秘蔵の「祭姪文稿」が展示されることから、報道されていたとおり、来場者の多くは中国人の方でした。時間をかけてつくりあげられたものは、時間をかけて鑑賞すべきと思っておりますが、残念ながら時計を気にしながらの鑑賞となりました。乱れた字を目にする時間は、短くとも一向に構わないのですが。

忘年会でのこと

昨年末、忘年会に出席する度に「WEBの更新がありませんね。」というご指摘をいただきました。何を言っても言い訳となるため、適当に受け流すほかありませんでしたが、つまらないことを書くのも骨の折れる作業です。やらなければならないこと、やりたいことがそれなりにある中で、今年は、ほんの少し「更新」という作業の優先順位を上げたいと考えています。

悪について

エーリッヒ・フロムの「悪について」(ちくま学芸文庫 渡会圭子訳)の新訳版をようやくゴールデンウイークの前半に読み通すことができました。読みやすい翻訳でしたが、頭にすっと入らない部分があり、長く親しまれたとされる鈴木重吉氏の翻訳ではどのように表現されているのか気になりました。アマゾンで検索すると、中古品として1点出品されていたため、早速取り寄せることにしました。価格は1円でした。随分便利や世の中になったものです。

ちなみに気になった箇所は、男女の許されない情事を引き合いに出しながら、いつの時点で思いとどまる自由があったかを論じた後に述べる次の一節です。

 

【渡会圭子訳】

「一般論として語るなら、ほとんどの人が人生で失敗するのは、まだ理性に従った行動をする自由があると気づかないから、そしてその選択に気づくときは、決意するには遅すぎるからだ。」

 

【鈴木重吉訳】

「多くの人が自己の生涯で失敗する理由のひとつは、かれらが理性に則って行動する自由をまだ有する時点そのものに気づかないからであり、また決心するにはおそい時点になってはじめて、その選択に気づくからにほかならないと、一般に言えるのである。」

 

人生での失敗を少しでも減らしたいものです。

月日と分

昨年の夏頃から慌ただしくなり、矢のような速さで時間が過ぎ去りました。今年も既に3分の1が終わり、月日の経つはやさに戸惑うばかりです。ところで、大分前のことですが、とある先に電話をしたところ、電話口に出られた方から、担当者は離席しており、午後2時25分に戻る予定であると告げられました。折り返しの電話が欲しい旨を伝えましたが、その後、人は、どの程度の幅もった時間管理のもとであればストレスなく働けるのかを考えることになりました。きりのよい午後2時30分ではなく、午後2時25分という時刻が組織内で共有されていたからです。仮に5分単位ということであれば、古い人間としては少々大変という気持になった次第です。

カフカ短篇集

カフカ短篇集(岩波文庫)は、「判決」や「流刑地にて」などの法律と結びつく題名の短編が収められていることもあって、読まなければ、と思っていた本の一つです。作品を理解しようという身の丈に合わない試みは初めから放棄し、単純にストーリーを追うだけでしたが、興味深く読み切ることができました。その面白さは、比喩的に言えば、音がなくなる又は歪むような感覚にあるように思われ、ワクワク、ハラハラ、ドキドキなどのオノマトペでは上手く伝えることができない、というのが個人的な感想です。

無電柱化

4月5日のTOPICS「成城の桜」の中で、電柱・電線がなければ、と書き込みましたが、国は無電柱化を推進しており、国土交通省の「無電柱化推進のあり方検討委員会」にて、現在、無電柱化の推進の方向性について審議が行われています。公開されている議事録に目をとおしましたが、現状の法制度のもとでは、無電柱化を実施するにあたり、住宅地が最も意見集約の難しいエリアになるように思えます。人の欲に訴えて、無電柱化を実現したエリアの地域住民に「大胆な」税法上の優遇措置(固定資産税の一部免除という限定的なものではなく)を受けられるという仕組みを導入すれば、大きな変化が生まれるかもしれませんが、現実離れした話です。電柱・電線のない桜並木を歩くにはもう少し時間がかかりそうです。

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