芝大門法律事務所 所属弁護士 田村佳弘

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CATEGORY :閑 話

悪について

エーリッヒ・フロムの「悪について」(ちくま学芸文庫 渡会圭子訳)の新訳版をようやくゴールデンウイークの前半に読み通すことができました。読みやすい翻訳でしたが、頭にすっと入らない部分があり、長く親しまれたとされる鈴木重吉氏の翻訳ではどのように表現されているのか気になりました。アマゾンで検索すると、中古品として1点出品されていたため、早速取り寄せることにしました。価格は1円でした。随分便利や世の中になったものです。

ちなみに気になった箇所は、男女の許されない情事を引き合いに出しながら、いつの時点で思いとどまる自由があったかを論じた後に述べる次の一節です。

 

【渡会圭子訳】

「一般論として語るなら、ほとんどの人が人生で失敗するのは、まだ理性に従った行動をする自由があると気づかないから、そしてその選択に気づくときは、決意するには遅すぎるからだ。」

 

【鈴木重吉訳】

「多くの人が自己の生涯で失敗する理由のひとつは、かれらが理性に則って行動する自由をまだ有する時点そのものに気づかないからであり、また決心するにはおそい時点になってはじめて、その選択に気づくからにほかならないと、一般に言えるのである。」

 

人生での失敗を少しでも減らしたいものです。

月日と分

昨年の夏頃から慌ただしくなり、矢のような速さで時間が過ぎ去りました。今年も既に3分の1が終わり、月日の経つはやさに戸惑うばかりです。ところで、大分前のことですが、とある先に電話をしたところ、電話口に出られた方から、担当者は離席しており、午後2時25分に戻る予定であると告げられました。折り返しの電話が欲しい旨を伝えましたが、その後、人は、どの程度の幅もった時間管理のもとであればストレスなく働けるのかを考えることになりました。きりのよい午後2時30分ではなく、午後2時25分という時刻が組織内で共有されていたからです。仮に5分単位ということであれば、古い人間としては少々大変という気持になった次第です。

カフカ短篇集

カフカ短篇集(岩波文庫)は、「判決」や「流刑地にて」などの法律と結びつく題名の短編が収められていることもあって、読まなければ、と思っていた本の一つです。作品を理解しようという身の丈に合わない試みは初めから放棄し、単純にストーリーを追うだけでしたが、興味深く読み切ることができました。その面白さは、比喩的に言えば、音がなくなる又は歪むような感覚にあるように思われ、ワクワク、ハラハラ、ドキドキなどのオノマトペでは上手く伝えることができない、というのが個人的な感想です。

無電柱化

4月5日のTOPICS「成城の桜」の中で、電柱・電線がなければ、と書き込みましたが、国は無電柱化を推進しており、国土交通省の「無電柱化推進のあり方検討委員会」にて、現在、無電柱化の推進の方向性について審議が行われています。公開されている議事録に目をとおしましたが、現状の法制度のもとでは、無電柱化を実施するにあたり、住宅地が最も意見集約の難しいエリアになるように思えます。人の欲に訴えて、無電柱化を実現したエリアの地域住民に「大胆な」税法上の優遇措置(固定資産税の一部免除という限定的なものではなく)を受けられるという仕組みを導入すれば、大きな変化が生まれるかもしれませんが、現実離れした話です。電柱・電線のない桜並木を歩くにはもう少し時間がかかりそうです。

生の短さについて

今年も四分の一が過ぎてしまいました。一週間、一ヶ月、一年という時の単位が毎年短くなるかのように時間が過ぎ去っていきます。そのような中で、セネカの「生の短さについて」(岩波文庫 大西英文訳)を読みました。「いいね」と思う人も多いかもしれませんが、「どうかな」と思う人も相当いるだろうなという内容です。

この作品の中には、弁護人や裁判官について言及している箇所が幾つかありますが、次の一節は強烈です。

「見苦しきは、高齢になってなお、自分とは縁もゆかりもない訴訟の当事者のために裁判で弁護に立ち、取り囲む無知な傍聴者らの賛同を得ようと躍起になっているうちに息を引き取る者である。」

残念ながら見苦しい人生に突き進んでいます。

成城の桜

春らしく桜の写真をアップしました。電柱・電線がないともっと素晴らしいのですが。

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人生処方詩集

以前に「ヒトラー演説」や「言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集」などドイツに関連する本を紹介しましたが、今回とりあげる「人生処方詩集」(岩波文庫)も、偶々なのですが、ドイツ絡みです。この詩集は、ドイツの詩人・作家であるエーリヒ・ケストナーの作品で、序文によれば、人生における「さびしさ」や「失望」などの心の悩みを和らげる目的で出版されたようですが、優しく慰めるという内容ではなく、随所に皮肉というスパイスがきいて、刺激的です。

 

ぼくらはみな おなじ列車にこしかけ

時代をよこぎり 旅をしている

 

これは「列車の譬喩」という題の詩の冒頭部分です。

高校の同窓会に顔を出し、実家から東京に向かう新幹線の座席でせつなさを感じつつ読みましたが、この詩集には、「同級会」という題の詩もあり、同級会に出席する者を相当辛辣に表現しています。そこでは苦笑いするしかありませんでした。

木の時代

先週末、ある講演会に招待していただき、著名な建築家の講演や建材メーカーのトップによるパネルディスカッションを聴く機会を得ました。美しい建物の話をとおして「木の時代」という大きなテーマが語られる一方で、クリーンウッド法(合法伐採木材等の流通及び利用の促進に関する法律)への対応について意見が交わされるなど、展開力(?)のある講演会でした。

昔からある食べ物、昔から読まれている本、昔から使用されている物(素材)は基本的に体や心に「良いもの」と思っています。木や石などは、様々な素材として、今後も人を惹きつけ続けることでしょう。

新年のご挨拶

新春を迎え、皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

本年が、皆様にとって、記憶に残る素敵な一年となることを祈念しております。

「言葉の力」と「言葉の遊び」

ヴァイツゼッカーは、ドイツ統一時の大統領で、その演説集が「言葉の力 ヴァイツゼッカー演説集」として岩波現代文庫から刊行されています。11編の演説によって構成されていますが、個人的な感想としては、理想に重きをおいた演説内容との印象です。例えば、五月八日演説(「荒れ野の四十年」)では悲しみに満ちた過去を踏まえ、「かつて起ったことへの責任は若い人たちにはありません。しかし、歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります」と語りますが、当時のコール首相は、「後から生まれた者の恩恵」による免罪を説いていました。

演説内容は、人によって評価は大きく異なるでしょうが、自分の考えを自分の言葉で語ろうという姿勢が人の心に働きかける響きを生み出しているのかもしれません。共感した点は、ある誕生会の演説(「パトリオティズムを考える」)における一節で、理想論に走らず、「根なし草の世界市民ではヒューマンな態度に説得力がありません。寛容が花を咲かせるのは、根を失って普遍的な融合をしている場ではなく、自らの立場を意識している所であります。」という部分です。

このような「言葉の力」に関する本を読んでいた時期に、ある人に誘われて、ダジャレ教室に参加しました。主催者の説明によれば、「言葉の遊び」は、小学校の国語の教科書にも載っているとのことです。これはこれで楽しかったのですが、頭が疲れた一日でした。

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