常盤台写真場
悪について
エーリッヒ・フロムの「悪について」(ちくま学芸文庫 渡会圭子訳)の新訳版をようやくゴールデンウイークの前半に読み通すことができました。読みやすい翻訳でしたが、頭にすっと入らない部分があり、長く親しまれたとされる鈴木重吉氏の翻訳ではどのように表現されているのか気になりました。アマゾンで検索すると、中古品として1点出品されていたため、早速取り寄せることにしました。価格は1円でした。随分便利や世の中になったものです。
ちなみに気になった箇所は、男女の許されない情事を引き合いに出しながら、いつの時点で思いとどまる自由があったかを論じた後に述べる次の一節です。
【渡会圭子訳】
「一般論として語るなら、ほとんどの人が人生で失敗するのは、まだ理性に従った行動をする自由があると気づかないから、そしてその選択に気づくときは、決意するには遅すぎるからだ。」
【鈴木重吉訳】
「多くの人が自己の生涯で失敗する理由のひとつは、かれらが理性に則って行動する自由をまだ有する時点そのものに気づかないからであり、また決心するにはおそい時点になってはじめて、その選択に気づくからにほかならないと、一般に言えるのである。」
人生での失敗を少しでも減らしたいものです。
月日と分
昨年の夏頃から慌ただしくなり、矢のような速さで時間が過ぎ去りました。今年も既に3分の1が終わり、月日の経つはやさに戸惑うばかりです。ところで、大分前のことですが、とある先に電話をしたところ、電話口に出られた方から、担当者は離席しており、午後2時25分に戻る予定であると告げられました。折り返しの電話が欲しい旨を伝えましたが、その後、人は、どの程度の幅もった時間管理のもとであればストレスなく働けるのかを考えることになりました。きりのよい午後2時30分ではなく、午後2時25分という時刻が組織内で共有されていたからです。仮に5分単位ということであれば、古い人間としては少々大変という気持になった次第です。