芝大門法律事務所 所属弁護士 田村佳弘

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都市で暮らすということ

東日本大震災をきっかけに、地盤の良し悪しなどというレベルの問題ではなく、どうしてこの街に住んでいるのか、どこの街に住むのか、ということについて思い巡らした方も多いのではないでしょうか。都市に住み、土地に縛られることなく、どこでも仕事や生活ができる方は、そのような我が身をありがたく思ったかもしれません。ただ、その一方で「その場所」と強く結び付けられた方の「その場所」に対する強烈な想いを羨ましく感じたこともあったはずです。

都市での生活者の多くは、通勤や子供の通学の利便性などを考慮し、また、ちょっとした偶然にも左右されつつ(偶々その街で気に入った不動産が売りに出されていた又は賃貸物件が募集されていたなどの事情)、経済的な制約(ローンや家賃の問題)と折り合いをつけながら、今の街を選択し、そこで暮らしているように思います。もっとも、仕事から退く時は必ず訪れ、子供も成長しますので、今暮らしている街と自分とを結び付けてきた利便性の持つ重みはいずれ変わります。従って、利便性以外の点で街との繋がりを感じることができないと「根無し草」であるかのような感覚に襲われることになりかねません。インターネット上での繋がりが地域との結びつきに代わることが可能かどうか分からない中、都市で心安らかに最後まで暮らしきるには相当の努力・覚悟が必要であると感じています。

贅沢な悩み

Voice No.1

私は、仕事を通じて、様々な悩みを抱える方とお会いしてきましたが、時として一般の方からすれば、そのようなことで悩む必要はないのでは、と思うようなことで苦しまれる方がいらっしゃいます。経済的に豊かな方が多く、所謂「贅沢な悩み」ですが、当人にとっては大変な苦しみです。

「贅沢な悩みですね」というフレーズをよく耳にしますが、このフレーズが使われる場合、状況的にもっと大変な人達がいるのだから、悩む必要はないですよ又は悩むなんておかしいですよ、という気持が使う人にはあります。

しかし、「贅沢な悩み」は、贅沢でない「普通の悩み」と同じように深刻であり、それどころか「普通の悩み」より深刻である場合が多いというのが私の実感です。

悩みの原因の多くは、あるべき自分と現実の自分の(主観的な)ギャップであり、その深刻さは、そのギャップが大きいと(当人が)感じるか否かで決まるところがあるため、第三者からみて贅沢か否かということはあまり重要ではないからです。

そして「贅沢な悩み」は、既にそれなりのものを手に入れた方の心の問題であるだけに、より深刻な悩みに至ります。例としてあまり適切ではありませんが、世界で1番になることを熱望し、しかしどうしても1番に手の届かない世界で2番、3番の方の悩みが深刻であることは容易に想像できるところです。日本で100番の方が(日本で100番は大変立派ですが)、世界で2番、3番だから十分でしょう、という言葉を投げかけても、彼ら(彼女ら)の慰めにはならないでしょう。

人も羨む方も悩んでいます。自分だけが悩んで、苦しんでいる訳ではないのです。

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